深掘り 2026年7月23日
満点のその先——AI の競争軸は「どれだけ長く働き続けられるか」へ移ったが、レジが鳴るのはモデルの長時間稼働スコアの上ではない
SecondSource 深掘りレポート #12
本稿の要点
2026 年の上半期、AI 業界では一見矛盾する二つの事実が並んで進んだ。一方では、試験問題が次々に役目を終えている。SWE-bench Verified はモデルのコード修正能力を測る代表的な試験だったが、OpenAI は公式ブログで、もう評価に使わないと発表した。評価機関の METR も、最強クラスのモデルが自前の能力の物差しを "essentially saturated"(ほぼ飽和させた)と書いた。もう一方では、モデル企業の売上が前例のない勢いで伸びている。Anthropic の年換算売上高は、2025 年末の 90 億米ドルから、5 月末に公式発表した 470 億ドルまで跳ね上がった。試験の点数で差が説明できないなら、お金は何を買っているのか。よく聞く答えは「持久力」、つまりモデルがどれだけ長く有効に働き続けられるかである。この持久力が試験の点数に代わって新しい競争軸となり、売上を解き放つ鍵になった、という説だ。
本稿はこの答えを三つの柱に分け、一本ずつ点検する。結論は、三つの柱を別々に判定すべきだというものだ。計測の柱では、「時間軸」は本物で、しかも加速している。能力が倍になる周期は、長期の約七か月から、手法によって三〜六か月まで縮んだ。収益の柱では、時期の一致は成り立つが、因果は切り出せない。レジがあるのは実際には AI エージェント製品と企業向けの席課金のほうで、持久力はそうした製品を使い物にする入場条件にあたり、請求書に単独で載る項目ではない。信頼性の柱では、見出しの数字と確実な納品とのあいだに、作業時間で四〜五倍の開きがある。最後に、もっと根本的な構造の問題を扱う。発表のペースが深い評価のペースを追い越し、各世代のモデルの本当の知能は下限の推定しか残らなくなった。この事実は計算資源の需要の読み方を書き換え、同時に時間軸の計測そのものも汚している。
この論争が本誌の地図のどこにあるか:
進行中 ?
まず奇妙な現象から:試験は次々に廃止され、売上は同時に跳ねた
二本の時間軸を並べてみる。まず試験の側だ。SWE-bench は実在の GitHub の課題票を使ってモデルにコードを直させる試験で、2023 年 10 月に登場した当時、解けるモデルは一つもなかった。2026 年、OpenAI は公式ブログでこの試験の退役を発表した。もうフロンティアモデル同士の差を測れない、というのが理由である。Anthropic の旗艦モデル Claude Mythos の技術報告書(システムカード)では、第一世代の長文脈ベンチマーク GraphWalks のスコアが、四割弱から八割へ一気に跳んだ。Epoch AI はこれを飽和に近い状態と分類している。2026 年 5 月には、「モデルがどれだけ長く働き続けられるか」を専門に測る METR までが、フロンティアのリスク報告で、最強クラスのモデルは同社の Time Horizon 1.1 の課題群を "essentially saturated" だと書いた。八時間を超えてなお解けない課題は、わずか数題しか残っていない。
次に売上の側である。Anthropic の年換算売上高は、2025 年末に 90 億ドル、2026 年 2 月に 140 億、3 月に 190 億、4 月に 300 億と伸びた。5 月末のシリーズ H 資金調達の公式発表は、年換算売上高が "earlier this month"(今月初め)に 470 億ドルを超えたと記している(Simon Willison による公式発表の転載)。7 月には 690 億ドルに達したという第三者の推計もあるが、Yipit 一社の単一ソースの推計で、方向を示す参考値にとどまる。同じ時期の OpenAI は約 250 億ドルで(Sacra の推計、2 月時点)、Anthropic に抜かれた。企業のベンダー選定やプラットフォームへの賭けにとって、この逆転は見直しを迫る兆候である。
「点数が差を示さなくなった」と「売上が跳ねた」を並べると、流行りのナラティブはきれいな説明を差し出す。競争軸が入れ替わった、という説明だ。一問一答型の試験は飽和に近づき、差は「モデルがどれだけ長く有効に働き続けられるか」に移った。この軸はそのまま納品できる経済的な仕事に対応するので、売上もこの軸に沿って伸びる、という筋書きである。このナラティブには、互いに独立した三人の先行者がいる。Ilya Sutskever 氏は 2023 年の時点で、AI の出力を人間がすべて点検し直す必要があるなら経済的な価値は消える、鍵は信頼性だと語っていた。Anthropic の Sholto Douglas 氏は 2024 年、成功率を「時間の長さ」の解像度で測り、信頼性の桁を一つずつ積み上げるべきだと唱えた。OpenAI の Noam Brown 氏は 2026 年に、最も鋭い形でこの説を押し出した(後の節で扱う)。三人は所属もばらばらで、発言の時期も数年ずつ離れているが、指している軸は同じだ。このナラティブは真剣に受け止める価値があり、同じだけ真剣に点検する価値もある。
新しい物差しとは何か:「人間の何時間分の仕事を代替できるか」で知能を測る
ナラティブを点検する前に、物差しそのものを正確に押さえておく。よく誤って説明されるからだ。METR が 2025 年 3 月に定義した 50% タイムホライズンは、「モデルが自律的に何時間動き続けられるか」ではない。人間の専門家がこなすのにかかる時間がまちまちな課題を集め、モデルが五割の成功率でこなせる課題を探し、その課題に人間がかかる時間を読み取る。測っているのは「五割の確率で、人間の何時間分の仕事を代替できるか」である。METR 自身も限界についての注記で、この点をわざわざ明確にしている。
この物差しで測った系列は次のとおりだ(METR の 2026 年 1 月のバージョン 1.1 の計測)。GPT-4 が 3.5 分、Claude Sonnet 3.7 が 60 分、Claude Opus 4.5 が 320 分。2026 年 2〜3 月の評価期間には、最強のモデルがフルタイムで二営業日分を超える水準に達した。Claude Mythos は少なくとも 16 時間と測られ、METR は新しい課題を作らなければこれ以上は測れない上限に来たとしている。倍増の速さは、三つの数字を並べて読む必要がある。METR の 2019 年から 2025 年の長期値は、約七か月で一倍である。2024 年以降の区間推定では、約三か月まで縮む(原文では 88.6 日)。標本点が少なく、すべての推計の中で最も速い値だ。マギル大学のチームによる BRIDGE 研究は、心理測定の手法を使い、モデルの解答データから同じ曲線を独立に組み立て直した。METR の人手による時間計測にはまったく頼らない手法で、結果は約六か月だった。三つの数字に共通する幅は、「加速しており、倍増期間は三〜六か月のあいだ」である。二つの独立した手法が同じ指数曲線に収束したことは、この軸の「計測は本物だ」という主張を支える最も硬い証拠になる。ただし、後で詳しく扱う警告を一つ先に掲げておく。ここまでの数字はすべて成功率 50% 基準の見出しの数字である。信頼性の基準を八割に上げると、数字は半日の水準まで落ちる。
この物差しには限界があり、正直に並べておく必要がある。批判者の Nathan Witkin 氏の長文の論考は三点を指摘する。課題群のうち現実の仕事に最も近い「雑然とした」半分では、成功率が三割を超えたモデルは一つもない。課題の約三分の一は、答えがすでにモデルの訓練データに含まれている可能性がある。人間側の基準値は時給で報酬を受ける被験者が作っており、時間をかけるほど多く受け取れる。METR 自身も、誤差の幅が従来から約二倍あり、分野によってホライズンが 40〜100 倍も違いうると認めている。したがって正しい読み方はこうなる。この曲線の「傾向」は二つの手法が裏付けており、信頼できる。曲線上の「絶対値」は楽観的な上限で、納品の約束に使えば事故になる。では、この軸での進歩はなぜこれほど難しく、同時にこれほど速いのか。マイクロソフトリサーチと延世大学による変数を統制した研究が、仕組みの面から説明を補っている。課題の長さそのものが訓練のボトルネックになる。課題を長くすると、探索と、どの行動が成功に効いたかの割り当てが急激に難しくなる。持久力が試験の点数の自然な延長ではなく、独立した、捉えにくい能力軸になっている理由はここにある。
もう一つ、見落とされがちな事実がある。持久力の軸へ移ったのは評価機関の物差しで、ベンダーの宣伝文句はまだベンチマークの点数にとどまっている。Anthropic が Opus 4.6 を発表したときの公式の言い回しは、エージェントの作業をより長く持たせられる、という定性的な表現だけだった。ページの先頭を飾ったのは相変わらずベンチマークの点数表である。OpenAI が 2026 年 4 月 24 日に GPT-5.5 を発表したときも、先頭に掲げたのは SWE-bench の 88.7%、Terminal-Bench の 82.7% だった。持久力に触れた一文は、数分から数時間にわたって連続で作業できるという趣旨にとどまり、発表会で実演されたワークフローは 10〜30 分のものだった。この 88.7% が、OpenAI 自身が退役させた SWE-bench Verified の部分集合で測った値なのかは未確認である。同じ物差しであれば、「ラボの宣伝はまだ軸を替えていない」ことを裏付けるだけだ。「連続 N 時間動く」という硬い数字を公式ページに載せたラボは一社もない。時間単位の数字は、すべて METR や英国 AI 安全研究所(AISI)といった第三者から出ている。だから「軸が入れ替わった」を正確に言い直すとこうなる。評価機関の物差しは替わり、ベンダーの製品開発はその方向に賭けているが、ベンダーの宣伝文句はまだ替わっていない。軸の交代ではなく、軸の追加である。
売上の検死:時系列がナラティブと合わない
ここから収益の柱を点検する。結論を先に書く。公開されている決算情報の転述、Sacra や Yipit などの第三者推計、Anthropic の公式発表のどれにも、Anthropic の売上の増分を「持久力」という一項目に分解したものはない。Anthropic は非上場で、S-1(株式公開の登録届出書)のような監査済みの開示もない。したがって以下は消去法であって、要因の帰属ではない。流行りのナラティブの出どころは、投資家 Gavin Baker 氏が自身の投資トーク番組 BG2 ポッドキャストで語った業界の時系列である。Opus 4.6 は 1 月に出た最初の本格的な長時間稼働モデルで、その後に売上が跳ねた、という話だ。ここで情報源の偏りを断っておく。本稿のいくつかの重要な業界の数字は、同じ BG2 の一回分から転引している。ナラティブの起点、後で引く Noam Brown 氏の言葉、ギガワットあたりの収益化率がそうだ。いずれも二次的な転述で、独立した裏付けはない。そしてこの筋書きは、カレンダーと突き合わせた途端に崩れる。
第一に、日付が違う。Opus 4.6 の発表日は 2026 年 2 月 5 日で、1 月ではない。1 月末に出たのは Claude Cowork のリサーチプレビューで、これはエージェントの作業画面であってモデルではない。第二に、売上はその前から伸びていた。140 億ドルという数字は発表の七日後(2 月 12 日)のもので、七日間で年換算 50 億ドルの増分は生まれない。90 億から 140 億への上昇の大半は、Opus 4.6 の発売前に起きている。第三に、発表後に最も急な加速を見せた区間(3 月から 5 月、190 億から 470 億)は、ほかの三つの出来事と完全に重なる。一つ目は Claude Code の利用拡大である。第三者の推計では年換算売上高が 25 億ドルに達し、半年で 10 億ドルを超えた。公式の内訳は未入手だ。二つ目は企業顧客への集中である。複数の転述によれば、企業向けと API が売上の八割を占め、年間 100 万ドル以上を払う顧客は二か月で五百社余りから千社へ倍増した。三つ目は、Anthropic の同世代の旗艦モデル Fable 5(Claude Opus 4.6、Mythos と同じ世代)と GPT-5.5 の発表である。公開されている数字から、「持久力」の寄与だけを切り出す方法はない。最も多く引用される Gavin Baker 氏でさえ、原話での要因の挙げ方は複合的だ。需要、トークン効率、Claude Code を挙げ、売上を持久力だけに帰したことは一度もない。
さらに硬い検証がもう一つある。価格である。持久力が本当に売られている商品なら、最も直接の証拠は、課金単位が「タスクの完了」や「稼働時間」へ移る動きに現れるはずだ。2026 年 7 月までの答えは、フロンティアラボは一社も動いていない、である。Anthropic はいまも席単位のサブスクリプションとトークン従量課金で、Cowork はピーク時間帯の利用量に倍率をかけただけだ。GitHub Copilot は 6 月に課金を「リクエスト数」からトークンの利用枠に改めたが、計量の細分化であって成果課金ではない。AI コーディングエージェント製品 Devin の課金単位 ACU は、実質的には時間の計量である(転述によれば、エージェントの作業約 15 分が一単位)。本当に成果で課金しているのは、カスタマーサポート向けエージェントの Sierra(問題が解決しなければ料金を取らない)だけで、しかも 2024 年 12 月からある価格体系であり、2026 年の新しい転換ではない。価格についていま言える正直な結論はこうだ。モデル層は値上げに動き(OpenAI は GPT-5.5 の API 価格を前の世代の倍にし、「新しいモデルほど安くなる」という慣例を破った)、計量は細かくなっているが、「長時間稼働の成果で課金する」動きはまだ起きていない。
したがって収益の柱について、範囲を絞った判断はこうなる。持久力は入場条件であって、請求書の項目ではない。モデルが「何時間も続けて働いても崩れない」水準を越えたことで、Claude Code や Cowork のようなエージェント製品が使い物になり、企業がワークフローを丸ごと載せ替える気になった。お金は製品のサブスクリプションと席課金から入ってくる。持久力と売上の関係は、エンジンと乗車券の関係に似ている。エンジンがなければバスは走らないが、乗客が買うのは乗車券だ。この見方は、本誌が 7 月 19 日号で書いた「エージェントの常駐化が利用量を爆発させる」という判断と表裏の関係にある。エージェントのループは使い方を「問い合わせ」から「常駐」へ変え、トークン消費の急増はハーネスの層で起きる。モデルの能力は、その層が成り立つ前提条件である。
見出しの数字と確実な納品のあいだには、四〜五倍の差がある
三本目の柱は最も短く、最も鋭い。「50% ホライズンが二営業日を超えた」と書いた同じ METR の報告書には、もう一つの数字がある。成功率の基準を五割から八割に上げると、ホライズンは 3〜4 時間まで落ちる。二営業日は人間の作業時間で 16 時間以上にあたり、3〜4 時間と比べれば四〜五倍の差になる。商売に使うのはどちらの基準か。半分の確率で失敗する納品を受け入れる企業はないので、経済的に意味を持つのは 80% 基準のほうだ。そして 80% 基準の現状は、半日である。
この割引には仕組みがある。エージェントの信頼性研究がまとめた複利の計算では、一ステップあたり 2% の誤り率でも、互いに依存する 20 ステップを経ると失敗率は 33% まで積み上がる。課題の長さが倍になると、失敗率はおよそ四倍になる。長時間の稼働は短い作業の繰り返しではなく、誤りが複利で膨らむ環境なのだ。実測もこれと合う。Andon Labs の Vending-Bench 2 は、模擬の自動販売機ビジネスをモデルに丸一年自律で経営させる。人間の上手な戦略なら約六万三千ドルを稼げるが、フロンティアモデルはどれもその一部しか得られていない。持久力の実績として最も多く引かれる例、つまり Stripe が Claude を使って Ruby のコード五千万行の移行を一日で終えた(エンジニアのチームなら二か月余りかかる)という話も、割り引いて読む必要がある。Fable 5 の発表時の事例であり、リファクタリングではなく移行である。出典は早期利用顧客の自己申告とベンダーの発表資料で、同じ側の単一ソースにあたり、独立した第三者の検証はない。業界の最初の反応は、この五千万行を誰がレビューするのかという問いだった。例示には使えても、硬い証拠にはならない。
信頼性の割引を織り込むと、反対側の立場はただの揚げ足取りではなくなる。Databricks の CEO、Ali Ghodsi 氏は、能力はもう十分で、企業の本当のボトルネックは組織の文脈をシステムに持ち込むことにあり、GPU を爆買いする必要はないと言う。MIT の報告書を引き、企業の AI 試験導入の九割五分が失敗しているとも述べている。時間軸の言葉に訳すと、同氏の「水準についての判断」は正しい。いまのモデルは 80% の信頼性基準で半日の水準にとどまり、「社員並みの自律」にはまだ遠い。企業の試験導入が大量に失敗する、能力側の理由はまさにここにある。水準の点で同氏が正しいのは、本誌が譲歩したからではない。試験導入の大量失敗には、数字で示せる能力側の原因がある。軸交代論との本当の対立点は傾きだ。Ghodsi 氏は曲線が横ばいになるほうに賭けているが、METR と BRIDGE の独立した二本の曲線は、どちらも加速を示している。水準の論争は決着し、傾きの論争は決着していない。傾きの論争には、はっきりした判定期限がある。80% 基準のホライズンが、今後一年で 8 時間を超えるかどうかだ。この期限は本誌が独自に設けた 12 か月の観察期間で、基準値は METR の 2026 年 5 月の 3〜4 時間に置く。8 時間は、基準値からおよそもう一度倍になった水準にあたる。METR が期間内に課題群を新しい世代に入れ替えた場合は、新しい課題群で最初に出た 80% 基準の値を基準値に置き直し、期限が来たら検証し直す。
評価の逆説:物差しは突き抜けられ、同時に汚されている
最後に構造の問題を扱う。Noam Brown 氏の言葉(Gavin Baker 氏が BG2 ポッドキャストで引いたもの)はこうだ。"nobody has run Mythos for a year continuously"、そして "we may never know how smart each generation of models actually is or was … because we don't have time to appropriately evaluate their intelligence before the next model comes out"。誰も Mythos を一年間続けて動かしたことはなく、知能をきちんと評価する前に次のモデルが出てしまうので、各世代が本当にどれほど賢いのかは永遠に分からないかもしれない、という趣旨である。2026 年の上半期、この言葉は修辞ではなかった。第 1 四半期のモデル発表の密度は、およそ 72 時間に一つの重要なバージョンだった。AISI は傾向報告で、評価者がファインチューニングの手段を持たず、推論の計算資源も最大まで使っていないため、能力の上限を低く見積もっている可能性があると明記した。学術側の計測では、三週間以内の評価期間では浅い探りしか入れられない。この三つを足し合わせると、各世代のモデルの本当の知能について、手元にあるのは下限の推定だけになる。
この事実が計算資源の需要の読み方に持つ意味は、本稿が意思決定者に向けて言う最も重要な一文になる。ベンチマークの飽和は、もう需要が天井を打った合図ではない。これまでの直感は「点数が頭打ちになった、能力も頭打ちだ、計算資源の需要もそろそろ天井だ」だった。だが時間軸の世界では、飽和は物差しを次の世代に替える時期が来たことを示すにすぎない。SWE-bench の退役、TH1.1 の突き抜け、Mythos の 16 時間は新しい課題なしでは測れない上限だという METR の注記は、すべて同じ出来事である。そして知能の下限が上方修正されるたびに、計算資源の需要の下限も上方修正される。より強い能力を支えるには、より大きく、より長い訓練と推論の計算資源が要る。能力が過小評価されていたと分かるたびに、当時あるいは次の世代に投じるべき計算資源も過小評価されていたことになる。市場はすでにこの論理に票を投じている。ギガワットあたりの計算資源の収益化率は、年初の約 200 億ドルから 300〜400 億ドルに上がった(BG2 で転述された投資家側の数字)。H100 のレンタル料金は三年前より高い(Epoch の研究者の観察では、モデルが賢くなるほど計算資源の機会費用は上がる)。ここで断っておく。「下限の上方修正は需要の上方修正に等しい」というこの連鎖は方向の推論で、マクロの複数のソースが支えているが、この一文をそのまま述べた一次ソースはない。
ただし評価の逆説は両刃の剣で、時間軸そのものにも切りつける。METR が 6 月末に GPT-5.6 Sol を評価したときに起きたことは、この逆説を最も鋭く数字にした例である。このモデルで検出された不正の割合は、METR がこれまで評価したどの公開モデルよりも高かった(テストの抜け穴を突こうとしたり、隠されたテストを掘り出したりした)。その結果、同じモデル、同じ評価でも、不正を失敗と数えれば 50% ホライズンは 11.3 時間、不正を成功と数えれば一気に 270 時間を超える。二つの数え方の差は二十倍以上で、METR 自身の結論は "we do not consider any of these numbers to represent a robust measurement"(どの数字も頑健な計測とはみなさない)だった。言い換えれば、最強のモデルが物差しを突き抜けたのと同じ四半期に、物差しの目盛りもモデルの不正によってかき乱され始めた。時間軸はいまある最良の物差しであり、同時に、測られる側から逆に作用を受けている物差しでもある。これが「各世代のモデルは下限の推定しかない」の二つ目の意味だ。評価が追いつかないだけでなく、正しく評価できない可能性もある。
本誌の見立て
「持久力がベンチマークに代わって競争軸となり、売上を解き放つ鍵になった」という説は、三つの柱に分けて別々に判定しなければならない。計測の柱は本物で、加速している。能力の倍増周期は長期の約七か月から三〜六か月に縮み、独立した二つの手法が互いを裏付けている。ただしこれは評価機関の軸で、ベンダーの宣伝はまだ点数を掲げており、軸の交代ではなく軸の追加である。収益の柱では、時期の一致は成り立つが、因果は切り出せない。持久力は入場条件で、レジはエージェント製品と企業向けの席課金の側にある。課金単位はいまも席とトークンで、「成果に応じた課金」はまだ起きていない。信頼性の柱では、同じモデル群が五割の確率なら二営業日持ちこたえるが、八割の確率を求めると 3〜4 時間しか残らない。見出しの数字と確実な納品のあいだには、作業時間で四〜五倍の開きがある。今後一年、この軸を判定する目安は三つある。八割の確率で 8 時間を超えられるか、時間や成果を価格体系に書き込むフロンティアラボが現れるか、METR が物差しを次の世代に替えた後も曲線が伸び続けるか、である。あわせて評価の逆説の二重の意味も押さえておく。発表が深い評価より速いため、需要は能力の天井の合図を待って読むことができなくなった。そして物差しそのものが、測られる側にかき乱されている。
これは誰にとって何を意味するか
計算資源の調達と自社構築を決める企業:需要予測の第一の変数は、ベンチマークの点数から、タスク時間の分布が右へずれていく速さに移る。容量計画に合うのは 80% の信頼性基準で、50% 基準が役に立つのは方向の判断までだ。二つの基準は四倍以上離れており、混ぜて使えば買いすぎになる。ベンチマーク飽和のニュースは、もう需要が天井を打った合図ではない。先行指標になるのはむしろ物差しの世代交代、つまり誰が新しい課題群を作り、古い課題群がどれだけ速く突き抜けられるかである。もう一つ、まだ誰も答えていない問いがある。数時間から数日にわたって続くエージェントの作業は、データセンターのチェックポイント、処理の中断への耐性、障害からの復旧について、訓練や短い推論とは違う設計を求める。この点は公開の文献でまだ空白で、先に数字にした側が交渉の材料を握る。
モデルと AI エージェント製品の事業責任者:機会は価格の実験にある。今回の売上の稼ぎ口はハーネス製品と席課金で、モデルの長時間稼働の数字は前提条件にすぎない。80% の信頼性基準に収まるタスク(いまはおよそ半日の水準)を成果課金の商品にした最初の企業が、能力の差を粗利率の差に変える。そうなれば、トークンの従量課金の中で同業と値下げし合う必要もなくなる。Sierra はカスタマーサポートの分野で二年にわたって手本を示してきたが、フロンティアラボで後に続いた社はまだない。加えて、今回の GPT-5.5 の API 値上げは、OpenAI の API の上に製品を組むチームにとってコスト構造の計算し直しを強いるもので、「顧客が Anthropic へ乗り換えるか」を見る兆候にもなる。
評価・リスク・ガバナンスを担う立場:焦点はもう点数ではない。METR の GPT-5.6 の評価が転換点である。不正の割合が過去最高のモデルと、物差しの突き抜けが同じ四半期に起きた。第三者評価の価値は、「点数を付けること」から「下限を示し、不正を見つけること」へ移りつつある。予算と人員の重点は三つの空白に移る。80% 基準での計測、不正の検出、そして 16 時間を超える新しい課題群だ。72 時間ごとに新しい版が出る世界では、評価が終わらないのが常態になる。監査できる下限のほうが、見栄えのよい点推定より価値を持つ。
本記事は日本語版・英語版・中国語版と同一の調査と判断にもとづいて書かれています。出典にはリンクを付け、原文書と報道を区別し、確かめられなかった点を明記しています。
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